mj-lionの備忘録

暇な法律家による,読書・映画等についての覚書です。

永遠の不在証明/東京事変~映画名探偵コナン『緋色の弾丸』主題歌・考察

永遠の不在証明/東京事変 が、今回の映画名探偵コナン『緋色の弾丸』の主題歌と発表された。

楽曲も閏日にリリースされた。
閏日というのも捻られていて、来年には「不在」である。永遠ではないが、「不在証明」の文脈に通ずる。

この楽曲の考察は、すでにYouTuber等によってなされているところではある。細かい考察はそれらに譲り、どこに新規性があるのか、何が新しいのか、考えたところを書き残したい。

永遠の不在証明=永遠のアリバイと考えてよい。

椎名林檎さんは、コナンワールドの探偵たちの人生を「仮初めの人生」と端的に示した。ここがすごい。

コナン/新一、安室/降谷/バーボン、赤井/沖谷…その他探偵たちには、「奇々怪々なる」表裏がある。「表」を生きること自体が、「裏」にとって「永遠の不在証明」になる。

探偵たちの人生に、この種の儚さを見出だし、主題歌に取り込んだのは(おそらく)椎名林檎さんが初めてだ。

各人の「正義」に着眼した福山雅治の『零』とはまた異なる、儚さ。

歌詞には、「果敢なき人の尊厳」とある。「仮初めの人生」を送る間には、意図せず誰かを傷つけ、「加害者」にも簡単になり得てしまう、そんな人生を送ることを選んでいる探偵たちの生きざまを示していると思う。


さらに「不在証明」という言葉がやみつきになるのは、これは自分のコナン観でもあるのだけれど、黒の組織側にも通ずるものがあるからだ。

黒の組織にも論理がある。組織の目的が明示されたことはないが、不老不死の研究(実現)にあると示唆されている。

人が不老不死を願うのは、自分のためとは限らない。誰かのためかもしれない。ぼくは、黒の組織の根幹には、単なる私利私欲の延長からの不老不死願望ではなく、何らかの物語があると思っている。

アイリッシュや、キュラソーなどバリバリの黒の組織の人員も、かなり人間的に描かれてきた。ベルモットの心理描写も同様だ。

どことなく、(大きな事件において)コナンに出てくる「悪いやつら」には、ドラマが用意されていることが多い気がする。怨恨ばかりではない。

いわんや、黒の組織の根幹には、それ相応の物語があるのではないか、そう期待している。

そして、黒の組織に通ずる「不在証明」というのは、彼らの闇社会での生活、さらにはコードネームによる呼称である。黒の組織の人員も、もともとは、「表」の人生をうけた。正確には、黒の組織に入ることで、「裏」を得て、これまでの人生が「表 」化されてしまった。

ラストサビにおける、「世界平和」を願っている「皆」というのには、黒の組織も入ってくるのかなと思ったりする。もちろん、平和的手段を採っているわけではないけれども、組織には、組織の論理と理想があって、その理想自体は主観的には「世界平和」なのかもしれない。


あるいは、視点を変えて、ふつうの人間についてみても、適度に不在証明を作り、表裏ある人生を過ごしているものではないか。分人主義という言葉もある。

個人的には、かなり好きな主題歌。
さて、無事に公開されるだろうか…。