『映画ドラえもん のび太の宝島』とハンス・ヨナスの未来倫理(2)
2 ハンス・ヨナスの未来倫理
『宝島』のテーマの一つは,家族愛である。これは泣けるくらいよくできている。この時点で,映画ドラえもんとしては,すばらしい作品だと思う。
もう一つのテーマは,未来倫理だ。今作はここが意味深い。
ハンス・ヨナスの『責任という原理』という本を,学部時代に読んだ。タイトルがかっこよくて,印象深い本だった。少し思い出してみる。
問題の所在は,新しい環境問題に対して,既存の倫理学では太刀打ちできなそうであるというところにあった(こうした思考枠組みは,国際環境法においても同様)。
例えば,ある工場から毒ガスが漏れてしまって近隣住民が大変な迷惑を被るという種類の公害ではなく,現時点では「直ちに」影響はないが,将来ではどうかわからないといった話がある。
あるいは,A国での開発事業が,地球温暖化を進め,海面上昇を起こし,B国の浜がなくなっていくというようなグローバル規模での問題。これらに対する哲学的な対応である。
*アジア圏でも広がる環境裁判所による対応も興味深い。
そこで,ヨナスは,未来に対する責任のシステム(倫理)を考えていく。そうして生まれたのが,「未来倫理」や「世代間倫理」と呼ばれる領域だ。これ以上のちゃんとした説明はできない(恥)。
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今作で,シルバーは,タイムトラベルの際に,未来の地球環境が破滅している姿をみてしまい,「子供たちを頼むわ」という亡き妻との約束を履行するために,あとがない地球を捨てて,子供たちのために地球を脱出するという方法を思いつく(=ノアの箱舟計画)。
シルバーは,未来の子供たちに対する自己の倫理観の帰結として,多少の犠牲をいとわず,地球を捨てることを決意している。親として,人間として,彼なりの責任の原理がそこにある。ヴォルデモートのような完全悪ではない。
ところが,シルバーには,(現時点での)子供であるのび太らの声が届かない。皮肉だ。未来は子供たちのものであるはずなのに。
結論としては,「ノアの箱舟計画」は止められる。のび太らの叫びに,シルバーが我に返るような描写がある。
視聴者としては,この結論はわかっているはずだが,やはりほっとする。
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現実の環境問題に対して,地球を脱出するという選択肢はとれない。だからこそ,真剣に,未来倫理/世代間倫理を考えていかねばならない。
シルバーがどこまで間違っていたのかは,あまり単純ではない。人命を奪うレベルでの犠牲を出す「ノアの箱舟計画」は許されないだろうが,経済活動の規制であればどうか。
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そういえば,グレタ・トゥーンベリさん,昨年とても話題になったな。
なんか映画と重なるところもあるかもしれないな,なんて思った一日でした。